古い歌ばかりで恐縮です。
「影を慕いて」 古賀政男作詞作曲 1931年
「近頃の若い者は言葉が乱れている」とお嘆きの年配者に、昔から乱れた言葉が大手を振ってまかり通っていたということを示す一例。
歌の出だしは、「まぼろしの 影を慕いて雨に日に 月にやるせぬ 我が想い」。この「やるせぬ」が問題である。
「やるせない」はもともと「遣る瀬無い」、つまり「思いを晴らす方法」や「施すべき手段」が「無い」という構成の語で、この「無い」を「ぬ」とするのは、「しかたない(=仕方無い)」や「もったいない(=勿体無い)」を「しかたぬ」「もったいぬ」というようなものだ。
そもそも「ぬ」とは、「文語の打消しの助動詞『ず』の連体形」(「デジタル大辞泉」)だから動詞にしかつかない。「やるせない」は形容詞句なので、文語の連体形は「やるせなき」にならないといけないが、音符の数が合わないので4文字にしてしまったものか。
どっちにしろ、間違いに気づかず発表してしまったのだから、作者もよく知らない(使わない)言葉だったのだろう。慣れない言葉を使うときはもっと慎重にならんかい!
責任者出て来い!(♀:もう死んだはるわ!)
「大きな古時計」 ヘンリー・クレイ・ワーク作詞作曲、保富康午訳詞(1962年)
3番の歌詞に「天国へ昇るおじいさん 時計ともお別れ」とあるが、おじいさんの死とともに時計も止まってしまったのだから、二人(?)は一緒に死んで天国へ行ったはずだ。お別れする必要はない。今後はこう歌いましょう。「天国へ昇るおじいさん 時計を道連れに」。
ワークの原詞では、「時計ともお別れ」に該当する歌詞がないので、保富の責任である。
責任者出て来い!(♀:もう死んだはるわ!)
「あかずの踏切」井上陽水作詞作曲 1973年
4番の歌詞に「極彩色の彩で」とあるが、陽水はこれを「きょくさいしょくのいろどりで」と歌っている。「極彩色」は「ごくさいしき」と読むのが常識で、アルバム「氷の世界」に収録されているのを聞いた時から「間違ってるな」と思っていたが、2014年の「氷の世界ツアー」でライブを聞いた時(10月21日、大阪・フェスティバルホール)もやはり「きょくさいしょく」と歌っていた。
発表から40年もたって、その間に事務所やレコード会社や友人やファンや教育委員会から何度も指摘を受けているはずだが、あくまでも「きょくさいしょく」を死守するつもりだろうか。頑固にもほどがある。
責任者出て来い!
その他井上陽水の歌
★「夕立」(1974年)の歌詞「誰もが一目散へとどこかへ走る」の「一目散へと」ってなんだろう。「一目散に」が普通の言い方。助詞の場合は、「に」を使うべき場合でも「へ」を使う例が近年増えているが、ひょっとして、「一目散へ」と書こうとして、リズムが合わないので「と」も入れたのかな。
★「闇夜の国から」には「海図も磁石もコンパスもない旅」という歌詞があるが、この場合の「磁石」と「コンパス」は同じもの。
★「リバーサイドホテル」の歌詞の「部屋のドアは金属のメタルで」も、日本語と英語の二重表記。陽水さんはよほど親切な人のようで、分かりやすく分かりやすく歌ってくれる。
ついでにこの歌のサビの部分に突っ込みを入れる。
ホテルはリバーサイド(桜ノ宮のあのホテルかい!)
川沿いリバーサイド(リバーサイドゆうたら川沿いに決まってるやんけ!)
食事もリバーサイド(宣伝しとんのかい!)
Oh- リバーサイド(リバーサイドしかよう言わんのかい!)
責任者出て来い!
そういえば、「東へ西へ」の「昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ」という歌詞に、本家の人生幸朗が「当たり前じゃ!」と突っ込んでいたような気が。
「白い一日」 小椋佳作詞・井上陽水作曲 1974年
出だしの「真っ白な陶磁器を」というのがおかしい。「陶磁器」とは陶器と磁器の総称であり、一つの器を指して言う言葉ではない。いくつもの「陶磁器」を前にして言うのなら良いが、あとでこの「陶磁器」は「君」を象徴していることがわかる。「君」が何人もいてるんかい、この浮気者!
てなことをボヤこうと思っていたら、小椋本人が、自著のなかで「あれは間違いだった」と言っているらしい(「言葉ある風景」(祥伝社黄金文庫)2007年、筆者は未読)。
自分で間違いを認めたら突っ込まれへんやんけ!どないしてくれんねん!
責任者出て来い!
「瞳を閉じて」事例多数
平井堅作詞の歌「瞳をとじて」(2004年)。荒井由実作詞の歌(1974年)。水谷啓二作詞、もんた&ブラザーズの歌「ダンシング・オールナイト」(1980年)の歌詞 ほか
「瞳」は瞳孔のことを言い、瞳が閉じるのはまぶしいとき。目をつぶるのは「目を閉じて」か「まぶたを閉じて」でよし。
3音節分のメロディがあるからと言って安易に瞳を使うな。
責任者出て来い!
「SACHIKO」 ばんばひろふみ歌、小泉長一郎作詞 1979年
出だしの「幸せを数えたら 片手にさえ余る」とはどういう意味だろう。
続けて、「不幸せ数えたら 両手でも足りない」とくるので、「幸せ<5、不幸せ>10」と言いたいのだろうと見当はつく。しかし、「片手に余る」という言い方だと、「十指に余る」(10本の指で数えきれない:デジタル大辞泉)から類推して、「5本の指で数えきれない」という意味ととらえるのが普通だろう。どうしても「片手」と「余る」を使いたければ、「片手でも余る」とでも言うしかないだろうが、やはり紛らわしい。辞書にもない言葉で、聞く者の頭から?マークを出させるんじゃない!
責任者出て来い!
♀ 出て来い出て来いてゆうて、ホンマに出て来はったらどうすんのん!
♂ あやまったらしまいや!
♀ 何を訳の分からんこと言うとんねん、このよだれくり!
♂ おかあちゃん堪忍、ごめんちゃい。
♂ わがまま勝手なことばかり申し上げましたが、こんなおもろないページ見とうないわ~い!というお叱りの言葉もなく、お読みくださいまして誠にありがとうございました。皆様のご健康とご発展とを心よりお祈り申し上げ、ボヤキ講座予定終了でございます。
◆もう終わりかい!古い歌ばっかりやないか!もっとおもろいこと書け!
責任者出て来い!